パブリックアートめぐりの巻 ⑦(大阪市天王寺区~西区~中央区)

梅雨が明けた途端に、猛暑がやってきた大阪。
夏の青空とマブシイ日差しにパワーを感じます。セミも勢いよく鳴いています。

京都では祇園祭のハイライトを迎えた。
先週、前祭山鉾巡行に代わる「拝礼行列」と、神幸祭神輿渡御に代わる「神霊渡御祭」が、爽快な夏空の下で執り行われたようでよかった。今週はクライマックスの後祭です。
来年こそは疫病も退散して、「例年通り」の祇園祭を楽しみにしたい。鷹山の巡行復帰も待ち遠しいな~

さて、もう訪れたのは1ヶ月ほど前ですが、パブリックアートめぐりの続編です。
まずは宰相山(大阪市天王寺区)周辺から。広くは真田山とも呼ばれるエリアです。

小高くなった一帯は、宰相山公園
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広場に出ました
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石垣の上には後で行く施設が見えます。入口を間違ったことに気づき、丘を降りて戻る。

別の石段を上がっていくと、三光神社 東鳥居
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まずはこちらを参拝

六文銭の旗がキャッチー
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拝殿前鳥居を見上げる
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よく見ると、鳥居のすぐそばに石柱が重なって建っています
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右側に一本、左側には一部のみ、古い鳥居の柱が残る「片柱の鳥居」。1945(昭和20)年6月の大阪大空襲の爆撃を受けて損傷した、当時の鳥居の一部がそのまま保存されている。

本殿からはいい眺め
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境内は桜の木が多く、春にまた来たくなった。見えてる銅像はのちほど。

参拝
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子供が楽しそうに顔ハメしてた

真田幸村公銅像
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左奥には「真田の抜け穴」
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大坂城の下に通じるといわれる遺構。
真田幸村が掘ったといわれ、幸村は抜け穴を利用して大坂城を脱出し、島津を頼って鹿児島に落ち延びたという伝説が。

一応、のぞいてみた
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敷地の北側には、正門らしき鳥居
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こちらにも大阪大空襲で破損した「片柱の鳥居」がありました(画像左下)

「国家安泰 平和祈願」を込めて・・・
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そして、隣接するのは「真田山陸軍墓地」(最初に下から見えてた施設)
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1871(明治4)年に設置された、日本最古かつ最大の陸軍墓地

明治維新後、兵部省トップの大村益次郎は日本陸軍の創設を大阪からはじめ、大阪城とその周辺に陸軍の中枢機関を次々と設置。陸軍発祥の地・大阪は、軍都となっていく。墓地もその流れで造られた。現在は大阪市が管理。

西南戦争から太平洋戦争までの将校・下士官・兵卒・軍役夫など、5,299基以上の墓石群と43,000余りの遺骨を納めた納骨堂(1943(昭和18)年建立)から成り立つ
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現在の面積は約15,090㎡。墓碑は軍での階級に応じて同じ規格で、階級ごとに区画された区域に整然と並ぶ。

その景観にまず圧倒された。

終戦当時の景観をよく残している陸軍墓地はもうほとんど存在しておらず、今では現存する各地の旧陸軍墓地の中で最大規模
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近代日本の戦争と軍のありようを現在に伝える貴重な歴史的遺構です

墓地を抜け、明星学園中学・高校の敷地に面した「心眼寺坂」に出る
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心眼寺
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真田幸村 出丸城跡の碑
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上町台地の北端部に築城された大阪城は、難攻不落の天下の名城。
その弱点が南側にあるのを見抜いた豊臣方の真田信繁(幸村)は、出城「真田丸」を構えた。
1614(慶長19)年の大阪冬の陣にあたり、ここを舞台に徳川勢の攻撃に備える。わずか3,000人余りの将兵でこの出城を守り、豊臣方にとって冬の陣最大の戦果をあげた。

さらに坂を上がると、ピカピカの「真田丸顕彰碑」
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大阪城天守閣所蔵の「大坂三郷町絵図」と、「大坂冬夏陣立図」のうち「冬の陣図」の陶板が組み込まれている。「真田丸」の跡地について、現在は大阪明聖学園のグラウンド辺りにあったのではといわれていると記載あり。

少し移動して、大阪市立環境科学研究センター
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案内板のそばに【 早石恵梨子「飛躍」】
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イルカかな?

天王寺七坂のひとつ「源聖寺坂」を抜ける
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石畳がいい感じ
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黒門市場まで来ました
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山型のアーケードが伸びる
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日本橋の家
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通り過ぎてしまいそうな佇まい
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設計は安藤忠雄
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個人宅として建てられたが、今はギャラリー。イケフェスで何度か中に入ったことがあるが、いろんな仕掛けがあります!

南海ビルディング
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東側のRにも優雅なアーチ窓が並ぶ
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1Fの開口部の装飾が豪華
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頭上には、モザイクガラス壁画「南海沿線のまつり」
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南海沿線の10のお祭りがデザインされている
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そのひとつに、住吉大社「住吉おどり」
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ロータリーには【 吉田久継「風朗」】
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青空に白が清々しい

【 日高正法「平和の塔・女神像」】
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台座にも彫刻が施されている

ホテルロイヤルクラシック大阪
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唐破風が並ぶインパクト

浪速公園
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敷地の半分以上がグランドですが、東エリア(案内図の下)に見どころいろいろ

石柱の間を抜ける
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【 ふれあいモニュメント】
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アーチにお猿さん
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鳥さんも
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街中の広~い広場
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中央には・・・
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タイムカプセル
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1999年に2つのカプセルが埋設された。1つは浪速区政100周年の2025年に、もう1つは世界人権宣言150周年の2098年に開封される予定。

「区民宣言」と「浪速公園の整備」のプレートが掛かる
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マンション一画の植栽に・・・
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【 井上龍彦のオブジェ】が並ぶ
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下のギザギザがポイント

曲線が迫ってくる!
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こちらも下がギザギザ

同じく曲線+下ギザギザ
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座ってみたくなった(小さいけど)
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こちらのマンションには【 後藤英之「土の精-ミナミスパイラル-」】
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ちょっとビックリな形状
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☆が密かにかわいい
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大阪シティエアターミナル OCAT
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ここに巨大オブジェがあったはずなのに、跡形もなく無くなっていた。残念。

手すりから地下をのぞくと、ポンテ広場
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トリッキーです!
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namBa HIPS
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設計は高松伸。驚きを意味する「!」と、「永遠の時を刻む砂時計」がモチーフのユニークな外観

開業当時は壁面にフリーフォールが設置されていたが、現在はフリークライミングウォール(イベント専用)
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怖すぎ・・・

御堂筋を歩くと何故か探してしまう、金龍
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カラフルな風景に、道頓堀グリコサイン
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ドンキ前に【 塩崎宇宙「フェアープレイ像」】
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昔、スポタカがあった場所
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大正12年に「運動具店」を創業した初代・高橋勝雄が、昭和40年に塩崎へ制作を依頼。当時はミナミで人気の待ち合わせスポットのひとつで、ニックネームは「タカハシ君」。

道頓堀橋のたもとで、力強く走り続ける
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三津寺
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御堂筋沿いに建っていた庫裏は解体され、奥にあった本堂が曳家で移動されています! 敷地にはビルが建ち、その中に本堂が取り込まれるデザインになるとか。カフェも併設され、開かれた「みってらさん」に。
完成が楽しみです!

青空にばえる、ルイ・ヴィトン メゾン大阪御堂筋店
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大丸心斎橋店
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いろいろ入れてみた

【 川島慶樹「Birdy Twins」】
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心斎橋アメリカ村のBIG STEP 北側の入口に、素材違いで2羽の鳥さんがいます。
並んで羽を広げる姿は印象的で、正面から撮りたかったけど、前のベンチでお兄さんが食事中で・・・

四ツ橋の交差点に「四つ橋跡」碑
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長堀通と阪神高速1号環状線が交差する

昔は、東西に長堀川、南北に西横堀川が流れ、その交点を取り囲むロの字に4つの橋が架かっていた
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普段あまり意識してなかったけど、4つの橋で四ツ橋ってことなのね

上の絵にも描かれている「四ツ橋句碑」が近くに残る
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南に架かる下繋橋の東西に建っていた。
<左>東岸:後の月 入りて貌よし 星の空(上島鬼貫)
<右>西岸:涼しさに 四つ橋をよつ わたりけり(小西来山)

このあたりは大阪の中心部で、十字の川面を行き交う船や橋上の往来も激しく、納涼や観月にも適していたので古来より有名であった。

顕彰碑の後ろには、江戸時代の木橋を再現
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橋長は約10分の1 幅員は約6分の1とし、欄干と床面は木製、川面には砂利を埋めた

照明灯の台座には、旧橋の親柱に埋め込まれていた橋名板を残す
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東に架かる「炭屋橋」、北の「上繋橋(かみつなぎばし)」

西に架かる「吉野屋橋」、南の「下繋橋(しもつなぎばし)」
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4つの橋を偲ぶように整備されていた

このまま長堀通を西進すると、中央分離帯に宇和島橋の親柱がひょっこり
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橋の南側に宇和島藩の蔵屋敷があった

西大橋の橋名板
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東西に流れる長堀川は、西横堀川との交点から西(下流)の木津川までの間を、「西長堀川」と呼び分けていて、西大橋はその西長堀川の埋め立てとともに役目を終えた

こうして長堀川に架かっていた橋の名称の多くは、現在も交差点、駅、バス停などの名称に使われている。

長堀川は・・・
1964(昭和39)年 西横堀川交点(四ツ橋)より上流の埋め立て完了 → 「長堀駐車場」設置
1971(昭和46)年 西横堀川交点(四ツ橋)より下流(西長堀川)の埋め立て完了→「長堀グリーンプラザ」設置
と、それぞれ整備された。

長堀通の中央緑地帯「長堀グリーンプラザ」
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ちょっとした遊歩道

富田屋橋の橋名板
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緑地帯ではこの先まだまだ橋跡と出会えます

で、思い出したのです。この「長堀グリーンプラザ」の石碑が土佐堀橋の南詰に置かれていたことを(↓その時の画像)
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あまり大事にされてない感じが気になったのを覚えています。以前のブログでサラッと「謎の長堀グリーンプラザ」とUPしました。なぜこの石碑が1km以上も北へ離れたこの場所に置かれているのかは不明です・・・

新町演舞場跡地
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新町演舞場は1922(大正11)年に当時大阪で活躍した建築家・片岡安が率いる片岡建築事務所の設計により、木造芝居小屋「高嶋座」から鉄筋コンクリート造の近代建築物「新町座」として、この地に建てられた
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新町を象徴する建物だった

昭和に入ってからは、日本出版配給会社大阪支店として利用されていたが、1945(昭和20)年の大阪大空襲で大きく損傷。1949(昭和24)年、日本出版配給株式会社から派生した株式会社大阪屋によって、演舞場の玄関などを保存・活用し、本社屋として利用

2013年に撮影した、大阪屋
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60年以上の長きにわたりこの場所にあったが、2014年に移転し、本社屋は解体

南西角の一画に碑が作られた
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窓装飾の一部を再利用しています
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大阪屋の壁面にも、もちろん確認できました!
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大阪屋の建物を初めて現地で見たときは、赤煉瓦建築の見事さに圧倒され、今回それがそっくり無くなっていたのはかなりショックやったけど、一部とはいえ保存されていたことが確認できて救われた。

趣ある木造家屋の一画
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【 齋部哲夫「EDGE THE WIND」】
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向こうにうっすら見える建物は・・・

長瀬産業
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スクラッチタイルの明るい色めとどっしり落ち着いた存在感が、街並みをつくる。旧館(左)の意匠を新館(右)が継承しているのもいい。

立売堀(いたちぼり)川跡碑
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埋め立てられてもう存在しないが、西横堀川から分流して西に流れ、百間堀川・木津川に注いでいた。この日だけでも、大阪には縦横無尽に運河が流れていたのを実感できた。

クツワ株式会社
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一度前を通りすぎてから、アーケードがなくなっているのに気づく! 美しい建物がとても見やすくなりました。

昨年10月
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東横堀川に架かる、農人橋からのながめ
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一本北の本町橋からこのあたりでは、東横堀川がS字にカーブしている。開削当時、ここにあった浄国寺を避けて川筋を曲げたため。

川沿いに少し上がっていくと・・・
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突き当りには・・・
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「曲り淵地蔵尊」
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曲りで水流が急になり、水難事故が絶えなかったことから、付近の住民の方々が水難除けに祀られました
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あれこれ盛りだくさんに見て回った一日、充実の街歩きとなりました。
パブリックアート、まだまだあります!(寄り道の方が多いけど)


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■過去の「パブリックアートめぐりの巻」■



by ystsushin | 2021-07-23 00:27 | art | Comments(0)

   四季折々のお出かけ記録です


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