浪速風情をめぐる(大阪市中央区~天王寺区~西区)

またある日の自由散策記録。例によって、もりだくさんです!

「玉造稲荷神社」からスタート
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古代、勾玉作りの難波玉作部が居住していた地で、現在の「玉造」の地名もこれに由来

立派な石垣!
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錦絵にも高殿(舞台)が描かれている
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石段を上り、鳥居をくぐる
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本殿
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境内
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右に豊臣秀頼公像。実際は御丈6尺5寸(約197cm)余りと、高身長だったよう。当時を偲ばせる「摂関家」に相応しい衣冠束帯姿を再現。

玉造稲荷神社は豊臣期に大坂城の鎮守社として崇敬され、三の丸に位置したことから付近には前田利家をはじめ、多くの武将が屋敷を構えた。

特に秀頼公・母淀殿の崇敬は篤く、境内には慶長8(1603)年に寄進された「豊臣秀頼公奉納石鳥居」
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阪神淡路大震災で基礎に損傷を受け、上部と脚部(矢印)に分けて保存

摂津名所図会に描かれた、徳川・大坂城鎮守神時代の鳥居(黒丸)
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江戸時代には「豊津稲荷社」と紹介されていて(右上)、中央には「利休井」も

豊臣時代の千利休は玉造・禰宜町(神社南側)に屋敷を構えた
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利休ゆかりの地として、昭和52年に「千利休居士顕彰碑」建立。
利休居士15世・千宗室宗匠の筆による、利休の茶の心「和敬静寂」が彫られている。
この一帯は清水谷などの地名が残るように、「玉造清水」と呼ばれる良質の水が得られた。神社には利休が生駒山系を眺め茶会を催したとの伝承が残り、先の図会には利休が茶の湯に愛用した「利休井」も境内に描かれた。

難波玉造資料館
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愛らしい形は、古墳時代の切妻造家形埴輪がモチーフ

毛利家の刻印石
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昨年、梅薬師道祖神の石垣組み替え中に発見。毛利家の刻印「一」と「〇」が確認できる。
元和6(1620)年から始まる徳川家の大坂城再築の際、長州藩(藩主 毛利秀就)より運ばれた石材。当時の玉造は、石垣の石材置き場で、大坂城には使用されず神社石垣として400年間使われていた。

「梅薬師 道祖神」
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江戸時代、神社北東に疫病や災害除け、長寿や病気平癒を願う石薬師があり、見事な紅梅が咲き誇ったことから梅薬師と呼ばれていた。
令和2(2020)年春、新型コロナウィルスの終息と民の安全を願い、この地に再び紅梅を植樹し「梅薬師 道祖神」が祀られた。

神社を南に行くとすぐ、道路上に巨樹と祠
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白光大神(榎木大明神)
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これも道路上の御神木「路傍樹」ですね。かなり大きな木です!
向こうへまっすぐ北方向に、先程の玉造稲荷神社があるので、一の鳥居的なシチュエーション。

上町筋を下がると「マエダ化成」
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外壁のスクラッチタイル、建物上部の縁飾り、エントランスなど魅力的な要素をもつ

この1階の感じ、いい
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うえほんまちハイハイタウン
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ちょっとレトロなネーミングがキャッチー

時計塔、モザイク模様がキレイ
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足下には4面それぞれデザインが異なる連作【 愛、協調 】
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横には「真田幸村緒戦勝利之碑」

後ろ姿が見えてる銅像は「中田明正像」
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闇市から立ち上がった上六商店街振興組合の理事長として、「うえほんまちハイハイタウン」再開発事業に献身的に取り組んだ方

竣工の昭和55(1980)年に設置された「うえほんまちハイハイタウン誕生記」
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前身の上六商店街振興組合が母体となって結成した「上六市街地再開発準備組合」は、再開発事業としてのビル建設計画を立案。その願望が実るまでの苦節30有余年を語る。
左横には「上六市街地再開発組合関係者名」のプレートも。理事会・組合員を始め、転出者、物故者の氏名もあった。

自転車置き場に、同じく昭和55(1980)年に設置の【 SWAN 】
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上六の交差点には【 再開の碑 】
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これも竣工時の設置。左半分にだけ葉っぱがつたっていて、いい感じ。

随所に「うえほんまちハイハイタウン」への想いを感じる場所となっていた。

生國魂神社
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東側の参道を抜けると・・・

大鳥居
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手水舎
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建屋がピカピカ

本殿
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社務所横の注連縄をくぐる
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「お玉茶や」の案内が出てます
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拝服席「お玉茶屋」
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季節のお菓子とお抹茶がいただけます

「井原西鶴像」
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浮世草子で有名な井原西鶴は、大坂で流行した談林派の俳人としても活躍。
延宝8(1680)年に生国魂神社南坊で一昼夜(24時間)で4,000句の独吟「矢数俳諧」に成功。世間の人々を驚かせた。

西鶴を師と仰いだ「織田作之助像」
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大正2(1913)年、生國魂神社の近くで生まれた。郷土大阪を愛し、終生大阪を離れず、出世作「夫婦善哉」を始め多くの小説は庶民の生活を題材にし、上方文化の発展に大いに寄与。33年の生涯は太くて短かった。
ハイカラなファッション!

「上方落語発祥の地 米澤彦八の碑」
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上方落語の始祖・米澤彦八の名を残すべく、平成2(1990)年に上方落語協会が建立

米澤彦八は生國魂神社の境内で「当世仕方物真似」を催興
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立烏帽子、大黒頭巾、編み笠、湯呑茶碗などを駆使して、公家や大名の立ち振る舞いを面白おかしく演じた。町人のまち「大坂」らしい、反権力の笑いであったよう。

北門より出ます
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前の「真言坂」を下ると千日前通へ
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生國魂神社の神宮寺であった法案寺をはじめとする生玉十坊が、明治の廃仏毀釈まで神社周辺で栄えていた。うち、神社の北側の六坊が全て真言宗だったのがこの坂の名の由来。

下寺町交差点からは、北門坂を上がると神社へ
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この看板、めっちゃ目立つな~といつも思う

三津寺墓地(松林庵)
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道頓堀へ向かう前に、開削した安井道頓と従兄弟・道卜の供養墓をお参りに

ここは今、現在改築中の三津寺さんの仮寺務所も兼ねる
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南側には「十二支の守り本尊」が並ぶ
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「守り本尊」信仰では、生まれ年の十二支(えと)に守護してくれる仏さまが定まっていて、その仏さまをお参り
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法善寺
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右に「夫婦善哉」
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一人前を夫婦にたとえ、お盆に仲良くお椀二杯に分けて出される、おぜんざい。夫婦円満、商売繁盛、縁結び、良縁来たる善哉として、昔より縁起物。
昭和15年、「東の太宰、西の織田」と謳われた文豪、織田作之助の小説「夫婦善哉」に登場し、森繁久彌主演で映画化され全国的に一躍有名に。

そして、お堂には・・・
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苔で覆われた不動明王「水かけ不動」
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いつ来てもビッシリ! 子供の頃はこの風貌が不思議でしょうがなかった。

一旦東へ抜けます
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社号標があるの、初めて気付いた
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一本北の法善寺横丁を、東から
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掲げられた「法善寺横丁」の文字、東は3代目桂春団治
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西の端には藤山寛美
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どちらも裏には「謝意」
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平成14(2002)年9月、平成15(2003)年4月と二度の法善寺横丁火災で、義援金が寄せられたことへのお礼と、その使途が記されている

打ち水された石畳がいい雰囲気
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こんな一画も
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月の法善寺横町
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包丁一本 晒に巻いて~♪

「正弁丹吾亭」
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ここも織田作之助「夫婦善哉」の舞台。違いがわかる大人になったら(笑)一度は入ってみたい、憧れの老舗割烹。

名物、味噌おでん
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店の前には歴史を感じる、いろんな碑が建つ。
「織田作之助文学碑」
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「行き暮れて ここが思案の 善哉かな」作之助

「平田春一 歌碑」
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「かくばかり 鯛をくはば 鯛の奴 うらみつらむか 或は否か」春一

「西田当百川柳碑」
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「上かん屋 ヘイヘイヘイと さからはず」
西田当百は今も続く川柳誌「番傘」の創始者で川柳作家。「番傘」創刊号の巻頭を飾った句である。

この「上かん屋」って、水かけ不動さんの東にあるここ?
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道頓堀に出る
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コムラード・ドウトンビル
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カールおじさんばっかり目立つけど、これ村野藤吾の設計。窓がなく、一面にグリーンの小口タイルで装飾。

竹本座跡
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貞享元(1684)年に「竹本義太夫」という浄瑠璃語りが、この道頓堀の地で「人形浄瑠璃」の興行を始める。この劇場小屋は座元(興行の責任者)である竹本義太夫の名を取って「竹本座」と呼ばれた。

POPな案内板
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義太夫は浄瑠璃作家の「近松門左衛門」と提携して数多くの演劇を上演。竹本座の興行は成功し、中でも「曾根崎心中」は空前の興行成績を収めた。近松没後も、現代まで上演される演目の多くがここ竹本座で初演され、人形浄瑠璃文楽の歴史が始まった場所である。

あらためて見ると豪華絢爛な、大阪松竹座
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道頓堀橋からグリコサイン
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新戎橋の南詰に「出世地蔵尊」
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昭和20(1945)年の大阪大空襲で行方が分からなくなっていたお地蔵さん。
かつて道頓堀は歌舞伎・義太夫・見世物などの小屋が並び、芝居町として賑わい、町人文化華やかだったエリア。街の発展に伴い、多くの人が出世を願って、地蔵尊に願掛けに訪れていた。
終戦後、数年経って土の中から発見。新しく「出世地蔵尊」と命名され、再びこの地に祀られた。今も住民や商売人をはじめ、出世を願う多くの方が参詣に訪れる。

道頓堀ホテル
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モアイ像みたいなオブジェ。知ってる方に似てるような(笑)

西端の門を出ます
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北にすぐ、大黒橋
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西には、西横堀川跡の上を走る阪神高速が伸びる
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その下に船みたいなのがのぞいてます

深里橋の北詰から遊歩道へ降りる
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珈琲艇CABIN
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この場所には何度か来ているが、今まで気付かなかったのが・・・

西横堀川の水門
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川はもうないのに水門だけが残る、不思議な光景。真ん中にのぞいている白い壁から先は、埋め立てられた西横堀川跡が北へと伸びる。

堀江に来たら、オレンジストリートをまたチラ見
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西谷ビル
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増築でできた複雑な構造
この正面「本館」が敷地の北西角、画像左(東方向)に2号館・1号館と続く。
画像右(南方向)に3号館が位置する。

1号館
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昭和28(1953)年竣工、4つの中で一番古い

玄関ホールにはメールボックス、振り子時計、カウンターが並ぶ
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クラシックないい感じ

なめらかな曲線を描く、手すり
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木製のやわらかいムード
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エレガントな床
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中から見える景色も雰囲気ある
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隣りの2号館
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昭和40(1965)年竣工

ドアハンドルがいい~!
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床が上品でモダン

本館
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昭和32(1957)年竣工、4階は昭和37年の増築。
ビル自体の角がRで、そこに付く玄関もあちこちR!曲面のツヤが美しい☆

渋い書体のプレート
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美の壺で紹介された階段
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なめらかな手すりが続く
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1階のカウンターや壁の「ご案内」、こちらもクラシックな香り

見上げると、Rを描く窓から光がたっぷり差し込む
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3号館
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昭和40(1965)年竣工、一番新しい

入口右のロゴがかっこいい!
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こちらもレトロなドアハンドル
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木製手すりに時間の流れを感じて癒される
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床のこの素材、懐かしい感じがいいな~
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いい意味で堀江っぽい景色
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堀江公園
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園内に「堀江川跡碑」
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元禄11(1698)年、河村瑞賢により西横堀川と木津川を結ぶ堀江川を開削
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長堀川と道頓堀川の間に位置する

これにより堀江新地が開発され、北堀江では浄瑠璃、南堀江では大阪相撲、また各種の産業が起こり、木村木村蒹葭堂や橋本宗吉などの文化人や学者を輩出。堀江川は単に物資や人の運搬だけでなく、堀江からの文化発信の通り道だった。
昭和35(1960)年に埋め立てられ、その役割を終えた。

公園の北西角に建つ、堀江会館
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アールの入った庇、ブロック状にデザインされた2階の窓がチャームポイント

心斎橋エリアを横切る。
キン肉マン・マンホールの4つ目「テリーマン」、クリア
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残り1ヶ所です!

御津八幡宮
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こんな街中にあるのに、初めてお詣りしました

三津寺さん
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仮囲い越しに、本堂を拝見

三津寺ホテル(仮)かぁ~
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御堂筋側から見たらこんな感じなのね(西立面図)
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本堂がのぞいてて、かわいい

先に立ち寄った三津寺墓地でいただいた、三津寺マガジン「GENTEN(原点)」
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このプロジェクトが紹介されてます

vol.8、本堂の曳家工程の前に行った庫裏解体の様子
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木材や瓦の一部は形を変えて再利用される

vol.9、完成予想図
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本堂は残され、新しい庫裏はモダンなお寺風景。上層階にはホテルが入る。2023年秋の完成予定!

無意識に足が向いてた、浪花組
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先日の大成閣と、やっぱり印象かぶるわ~

「東高津公園」の北西角にある交差点
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信号待ちで偶然見つけて、ビックリ!ビルの角にギュッと並んでいます。!

中央に開運地蔵尊
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帰って調べたら、「傳光寺」の跡地らしく、当時あったものを安置しているよう。

お地蔵さんの右横にある立派な墓は「福田金塘の墓」。
福田金塘は江戸時代の後期の数学者で天文暦数を修め土御門家に仕えた。今橋に私塾を開き、門下生は数千人に及んだ。文化4(1807)年大坂で生まれ、安政5(1858)年52歳で没した。

お地蔵さん左横の2つは「亀屋忠兵衛と新町槌屋の遊女・梅川の供養塔」。
大阪に実在し、近松門左衛門が書いた浄瑠璃「冥土の飛脚」のモデル。正徳元(1711)年に竹本座(道頓堀に碑があった場所)で初演。二人の墓は死後150年ほど経った安政年間(1854-1860年)に建立。右側の忠兵衛の墓には「妙法頓覚利達」、左側の梅川の墓には「梅室妙覚信女」と刻まれる。

一番左の小さいのは「梅忠ノ碑」。

浄瑠璃、機会を作って一度ちゃんと観てみたくなった。
浪速の町人文化を感じた一日やった。



by ystsushin | 2021-09-29 00:05 | まちあるき | Comments(0)

   四季折々のお出かけ記録です


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