山陽山陰の旅 3日目 <島根:石見銀山、大森> 前編

島根で最初に訪れたのは「石見銀山世界遺産センター」
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広大な駐車場、手入れの行き届いた庭、そして立派な建物!
石見銀山を見学の前に、こちらの施設で少し学習

入口には世界遺産のプレート
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2007年「石見銀山遺跡とその文化的景観」として、鉱山遺構としてはアジアで初めて世界遺産に登録。
・伝統的技術による銀生産の跡が豊富で良好に、残る
・環境に配慮し、自然と共生した鉱山運営を行い、鉱山遺跡と豊かな自然環境が一体となって文化的景観を形成
していることが特に評価された。

世界遺産の構成資産は、鉱山だけでなく銀を運んだ街道や積み出した港も含む。
銀山町や港町には今も人々が住み続けているのが素晴らしい。

青:このあと行く「龍源寺間歩」がある銀山地区
赤:銀山に至る大森の町並み地区
黄:鞆ヶ浦道、温泉津沖泊道を通って、鞆ヶ浦、沖泊・温泉津から船で世界へ
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石見銀山には大小合わせて600以上の間歩(坑道)があるが、龍源寺間歩は唯一常時公開

有料展示室の入口には早速、銀貨が積まれてる!
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御取納丁銀(おとりおさめ ちょうぎん)のレプリカ
永禄3(1560)年、毛利元就が正親町天皇の即位礼のときに献上した丁銀1100枚を再現!
丁銀は室町時代から江戸時代にかけて作られた、楕円状の銀貨幣の呼称。銀の重さと品位によって価値が定まる秤量貨幣。

大航海時代、石見銀山は日本の銀鉱山としてヨーロッパ人に唯一知られた存在だった
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1527年に九州博多の豪商・神屋寿偵によって発見されて以来、1923年の休山まで約400年にわたって採掘。東アジアの伝統的な精錬技術「灰吹法」を取り入れ、良質な銀を大量に生産した。

世界地図にも描かれた、世界有数の鉱山遺跡
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「Hivami (石見)」と「Hizumi(出雲)」の間に「Argenti fodinae (銀鉱山)」の記載

石見の銀は火山の営みが生み出した。
約4千年前、島根県で唯一の活火山「三瓶山」の噴火で裾野の森が火山灰などに埋まった。三瓶山の西方にはそのマグマの作用が優れた銀鉱床を生んだ。
16世紀末頃、世界の産銀量の1/3を占めた日本で、その大半を採掘したと伝わる石見銀山。太古の噴火で銀を含む熱水が湧出し、銀に恵まれた鉱脈ができたのです。

江戸時代の銀の製錬所「吹屋」を再現
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中では銀をとり出す技術「灰吹法」を実演!

右:①粉成(こなし)、左:②ゆりわけ
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①鉱山から持ち込まれた鉱石は荒割りし、要石を台にして粉砕
②水を張った桶の中で、ゆり盆を使ってふるいにかけ選鉱

③素吹(すふき)
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吹床で鉛を加えて溶かす。
銀が鉛と結びつきやすい性質を利用し、貴鉛(銀と鉛の合金)を製錬

④灰吹(はいふき)
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灰を詰めた炉(灰床)で貴鉛を熱すると、酸化した鉛は灰の中に吸収され、銀は炉の上に溜る。鉛と銀が分離し、灰吹銀ができる。

吹屋で製錬された灰吹銀は、品位検査で目方を量り、長銀の形状に整えられたあと、極印と呼ばれる責任者の印を打つ。他に、花押や銀の重量が墨書きされることも。

本谷地区の鉱山町 (江戸時代前期を再現)
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右下で製錬中!
江戸時代の銀山はまわりを柵で囲まれ、山内と呼ばれた。9ヶ所の番所では人や物の出入りが厳しく管理された。
山内には鉱山で働く銀掘(坑夫)の住宅、銀吹屋、極印屋、鉄蔵、鉛蔵など、銀を生み出すのに必要な建物があった。狭い谷筋には家がぎっしり建ち並び、鉱山の町をつくっていた。

「大久保間歩」の一部を再現
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全長900m、石見銀山最大の坑道。
ブラタモリでタモリさんが訪れたのはここ。一般人が入るには曜日限定のガイドツアーのみ。

ひととおり見終わったら、そろそろ移動
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まず、青い現在地からバスでA地点へ
「ぎんざんカート」に乗り換えA~Bに至る町並み地区を通過
そのままB~Cの銀山地区も通過し、一気にC地点:龍源寺間歩へ向かった

大森代官所跡バス停、着
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藤棚満開!

ぎんざんカートへ乗換 (写真は下車後に撮影)
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気持ちよく風を切って、レッツゴー!

街を流れる、銀山川
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橋を渡ってすぐ、大森代官所跡
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ドライバーさんはガイドまでしてくれます
乗り心地もよく、こういう乗り物ってめっちゃ楽しい!

大森の町並みに入りました
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閉山から100年経つが、今も人々の暮らしがある。
町には電線がなく、整備も行き届いていた。

御屋敷も
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店舗もちらほら
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人気のドイツパンのお店

特徴的な一画
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あとで登ります!

旧大森区裁判所
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重伝建の町を堪能!
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竜宮門が美しい栄泉寺
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おしゃれな洋服屋さん
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趣あるT字路に・・・
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木の自販機!
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大田市立大森小学校
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世界遺産の中にあり、今も生徒が通う日本唯一の小学校。
全校生徒24名分の鉢植えが並んでかわいい。

少し景色が変わってきました
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そろそろ銀山地区です。
大森の町並みは銀山に至る谷沿いに発展した、幕府直轄地(天領)の中心となった町。
この谷の奥まった所が鉱山地で、坑道や精錬施設の跡が残る。

下河原吹屋跡
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のちほどじっくり

気になるたたずまいの、豊榮神社
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川向うに間歩があるらしい。復路で寄ろう。
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道路沿いに現れた、間歩番号461の入口
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間歩には全て3桁の番号がついている

こんな小さいのも (間歩番号459)
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カート、下車
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少し進むと、見えてきました
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あの管理棟でチケット購入

龍源寺間歩
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現在、人が入れる間歩は2ヶ所あり、そのうちのひとつ。大久保間歩の次に大きい。

本来の長さは600m
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そのうち158m地点までを観光用に公開。
その旧坑道には鉱脈を追って掘った小さな坑道「ひおい坑」が枝状に短く伸びる。
そのあと、平成元年に新設された新坑道116mを歩き、出口へ。

龍源寺間歩は「間歩番号500」
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栗の丸太で四本柱を組んだ「四つ留」の坑口

すぐ近くに小さいのも
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さ、入坑!
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すぐに景色が変わる
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普通に歩ける高さです
坑道はほぼ水平に進んでいて、採掘と同時に鉱石運搬の幹線坑道としても使った

坑道の壁面や天井にはごつごつした当時のノミ跡も残る
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気温11℃
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あちこちでライトが照らす先には・・・
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「ひおい坑」
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鉱脈を追って掘り進んだ跡
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激しいノミ跡
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竪坑
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垂直に彫られた坑道で、龍源寺間歩に溜まった水を約100m下の永久坑道へ排水した

延々続く坑道のスケール感と・・・
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人の手が岩を掘り続けた気の遠くなる作業に驚く
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少し広くなった所に出ました
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入口から158m地点
旧坑道を歩けるのはここまで

この奥は江戸時代に掘られたもの
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高さ2m 幅90cm で大人がやっと通れる大きさ

195m地点で落盤のためふさがっている
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ここからは左折して新坑道を116m歩く
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やや上り坂
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途中、腰掛けもあり
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右壁には江戸時代後期に描かれた「石見銀山絵巻二巻」の電照板を展示
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坑道内作業の様子を15枚に仕立てた
出口が小さく見えて心なしかホッとする

①四つ留之図
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坑道の入口を「四つ留」といい、丸太の木を組んで土石が落ちるのを避けて安全な入口を造った。坑夫たちは鉱脈を目当てに坑道を掘り進む。
坑道のことは山言葉で「間歩」「敷(または 鋪)」「敷内(または 鋪内)」「山」と言った。

②四つ留役所之図
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代官所直営の5つの間歩(永久、大久保、龍源寺、新切、新横相)の坑口には四つ留役所が置かれ、役人が詰めて昼夜厳重に坑内の監督や見張りを行っていた

③御代官様 銀山御見廻之図
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代官所直営の5間歩は御代官が年に数回「御用見廻り」を行った。銀山附き役人4~5人と、供廻りの御仲間2~3人を連れて馬で巡見。

④四つ留役所前 柄山捨場
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山言葉で捨石(銀の含有が少ない石)を「柄山(がらやま)」、捨石を捨てる場所を「柄山捨場」と呼んだ。
柄山捨場にはまだ鉱石が混じっているので、山内の女・子供・非番の人夫たちが鉱石拾いをするようになった。

⑤鋪内之図
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間歩坑内の図。
右側から、柄山(捨石)を背負って歩く人夫、左右に横木を渡した踏台を歩く姿、丸太梯子を使う人が描かれている。

⑥片立木留之図
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A:押木留之図・・・天井の土砂を留めるため木材で被う
B:掘子共鏈掘図・・・堀子人夫(鉱夫)たちが鏈(くさり、鉱石)をノミで掘る
C:水鋪水取之図・・・坑内の溜り水を水箱に竹ポンプで吸い上げる

⑦留山師両立木留いたす図
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A:石留之図・・・石を掘り抜いてトンネル状の坑道を設える
B:水屓上ル図・・・水汲み
C:鋪内之図・・・立木で中程の横穴に支柱を設える

⑧大水鋪角樋二而水引揚ル図
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坑内の湧水を木製の角樋(ポンプ)で段々上に引き上げて、疎水坑へ流し出す

⑨唐箕風箱之図
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江戸時代中頃から唐箕(とうみ)を改良して、坑外の風を坑内に昼夜送る作業を行った

⑩留木拵之図
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坑口前の広場では坑内の支柱を拵(しつら)える仕事を行った

⑪四つ留役所二而入用払之図
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掘子大工たちが当日のノルマを四つ留役所へ背負い込んで、その賃金をもらいうけている。
役所内には銀山方の役人、銀山町方、番所方役人の姿も。

⑫「鉱石を掘る」
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掘子は鑚(たがね)を鋏(はさみ)で固定し、鎚(つち)でたたき鉱石を掘る。暗闇、油煙、石塵の中で大変な労働だった。

⑬鉱石を運ぶ
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掘子が鉱石をかますに入れて背負い運ぶ。狭い坑道の中、サザエの殻のランプの灯りだけが頼りだった

⑭坑木を組む
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落盤防止のための坑木を組むのが留山師の仕事

⑮水をくむ
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深く掘れば水が湧く。坑内の排水作業は鉱石を掘ること以上に大変な仕事だった。竹や角樋のポンプ、桶を使用した。

絵巻は素朴なタッチで坑内風景を描いていた
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外へ
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新設した坑口も、ちゃんと四本柱を組んだ「四つ留」に
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3つの小さい間歩が並ぶ
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高さ10cmほど
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やっと来れた石見銀山、名残り惜しい・・・
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このあとは、カートで登ってきた道をのんびり歩いて、銀山地区と町並み地区を楽しみます!

木立を進む
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佐毘賣山神社
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神話の神を称える神楽が舞われる

保存修理工事中で、参拝できず
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銀山川沿いの遊歩道へ
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苔むす石積み
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シャガに潤う
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視界が開け、橋の向こうに「高橋家住宅」
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江戸時代、有力な鉱山経営者だった高橋家。「町年寄 山組頭」として銀山経営に携わる人たちが住む町の運営に係わり、代官所と鉱山経営者である銀山師たちとの取次なども行った。

建物は通りに面して風情ある佇まい
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先程の佐毘賣山神社の社務所でもある
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市道を進むのも気持ちいい
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たけのこ、ニョキッ!
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道路脇に、福神山間歩
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間歩番号459番と461番があり、番号がとんでるので近くにまだありそう。崩れて塞がったのか、見つけられず。
ここは山師個人が経営した「自分山(じぶんやま)」。ちなみに、龍源寺間歩など幕府代官所直営の間歩は「御直山(おじきやま)」と呼んだ。

間歩番号459番と461番は道路下で合流し、銀山川の下をくぐり、向こうにそびえる山へ掘り進んでいる珍しい間歩
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新切間歩(間歩番号600)へ
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青もみじが美しい!
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幕府代官所直営の「御直山」のひとつ
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銀山川を渡った正面(案内板の右)にポッカリ開いています!
最初は疎水坑(水抜き坑)として掘られた。江戸時代後期には坑口から520mまで掘り進んだ。

市道には戻らず、遊歩道を進む
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民家が点在

放し飼い!
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のどかです
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清水寺(せいすいじ)
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見上げる薬医門が印象的

ほんとに危なそう
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石積みが見えてきました
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ただならぬ雰囲気です・・・

つづく



by ystsushin | 2023-06-03 19:24 | 国内旅行 | Comments(0)

   四季折々のお出かけ記録です


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